母性

by tsuruyuna posted 2020年9月5日 category days

私は子どもが産まれる前、他人の子どもを見て可愛いとは思うけど、めちゃくちゃ愛おしいと思うほどでもないし、飼い猫の方が正直可愛いし、自分に母性というものが備わっているのかどうか自信が持てなかった。

息子を連れてその辺を散歩している時、ご近所の小学生の女の子が息子を見て、とてもキラキラした目をする。私が、(息子が)もうちょっと大きくなったら遊んであげてねーと言うと、女の子はうなずき、息子の頭をよしよししてくれた。

また、息子を初めてひいおばあちゃんに会わせた時、ひいおばあちゃんはにーっこりしてすぐに息子を抱っこしてくれた。そして本当に嬉しそうに孫について色々とお話しをした。

女性というものは、小さい頃からお年を召しても、母性というものが備わっているのだなぁと改めて思った。

一方私はというと、息子が産まれるまで、息子を心から愛せるのだろうか、、とか思っていたくせに、いざ産まれたら、息子が可愛くてたまらないという仕上がりとなった。目の中に入れても痛くはないというが、あれホントだな、、と思う。自分の変貌ぶりが笑えてくる。

 

私は、人が生きる意味は他者との繋がりにあるのではないかと考え制作に向かっているのだが、その考えをベースにまた新たな側面を考えることとなった。それは他者との繋がりにおける「責任」が、生きる糧となるのではなないかということだ。

息子は私のエゴでこの世に生まれてきた。だから私は、息子が生きていて楽しい、生まれてきてよかったと思えるようにする責任がある。この責任を果たすことに対して、プレッシャーを感じるというより、絶対私が守る!という生きるエネルギーが漲ってくるのだ。こうして母は強くなっていくなかなぁと思う。

今まで仕事に対しても責任を持ってあたってきた。とはいえ、私の代わりは沢山いるわけで、私がいなくなっても社会は回っていく。しかし、息子にとってはそうはいかない。私がいなくなってもそれなりに生きてはいくんだろうけど、私の代わりはいないのだ。仕事に対する責任ももちろん果たしていかなければいけないし、それが生きがいでもあるのだが、それとはまた違った性質の責任を持つべきものがあることを知った。

きっと、人それぞれ責任を持つ対象は異なる。私もこれから人生経験を積んでいく中でまた様々な責任と対面していくのだろう。そしてその度に、私は生きる理由を見出すだろう。

出産をきっかけとして、私に新たに芽生えた感情は、今後制作をしていくうえで、重要な要素の一つになることを実感している。

そして、息子が産まれて1年が経った。色々な新しいことがありすぎて、手探りでがむしゃらで、イライラすることもありながらこの上ない幸福を感じることもあったりして、目まぐるしく過ぎていった一年は長かったような短かったような。

息子にいただいた母性を大切にしながら、また心新たに頑張っていこうと思う。

Leave a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Spam Protection by WP-SpamFree